こんにちは、綾野です。
大好きでエンジョイしまくってきたNY。
ですが半年経ったここにきて、
What!?(なんやねん!)
と言いたくなる出来事が重なりました。
これが噂のカルチャーショック
ってやつかぁとしみじみ。
これって普通!?モヤモヤなやりとりはこんな感じ
ショックを感じたことは全て
遊びの約束についてなんです。
ことの発端はとあるフライデーナイト。
その日は、
アメリカ人の友達A(友人の友人、社会人)
+メキシコ人の友達B(クラスメート)、
3人で会う約束をしていました。
なかなか都合がつかず、久しぶりの集合。
2週間前から日程を決めて
どこに出かけるかも話し合い済み。
しかも、アメリカ人の友人は
何やら相談したいことがある模様。
ですが、当日になって、
別のクラスメートCがその日最終日ということが判明し
急遽送別会が開催されることに!
(送別会がその日に決まること自体、
日本じゃ考えられないですが。。。笑)
その子にもお世話になったし、
でも友人Aは何やら相談がありそうだし
どうしよう、と悩んでいたら
メキシコ人のクラスメートBは
なんの相談もなく
送別会に参加表明していました。
ええーーーーー!?
私には一言もないし、
Aさんに断りの連絡をいれた気配もありません。
私までこっちに参加したら
Aさんひとりになっちゃうじゃん!
結局、私は送別会に乾杯だけ参加して
Aさんのところに向かったのですが
Bさんは送別会にそのまま残留、
何の相談やお詫びもなく終わりました。
このことがわたしの心に???を残したなか、
また別のことが起こりました。
アメリカ人の友人から
とあるパーティに誘われたんです。
送られてきたフライヤーを見たら
『Donation Party』とあります。
医療系のプロジェクトで、
参加費に寄付金が含まれているよう。
フライヤーがダサく笑
嫌な予感がしたのですが、
せっかく誘ってくれたし、ということで参加したら
死ぬほどつまんなかったんです。笑
参加者の年齢層高め、
公民館みたいなところで
内輪ノリ満載の感じ。
なんでこれに私を誘った!?
誘ってきた本人は、他の知り合いとノリノリで踊って、
あまりこちらをケアする様子もなし。
結局途中で抜け出してしまいました。
実はこのパーティのために、
クラスメートから当日飲みに誘されたのを
断ったのですがそのとき、
『日本人は最初の予定変えないの、
知ってるけど、変だよ。
楽しそうと思う方にいくべき!』
と言われたんです。
これを言ったクラスメートは知ってたんですね、
Donation Partyがどんなものか笑
私が詳細をきかなかったのも悪いんですが、
もし私が誘う側なら、
もう少しあの場を楽しめる人をチョイスするし、
つまんないかもしれないけど、
人を集めなきゃいけなくて。。。って
正直に説明するなぁ、なんて
モヤモヤしました。
日本と違いすぎて衝撃!のアメリカ約束カルチャー
日本に1年住んだことのある
ニューヨーカーに一連のことを話して
約束やお誘いに関しての
カルチャーを教えてもらいました。
・ニューヨークは誘いがとにかく多い
だから予定はコロコロ変わるもの
ドタキャン当然、それほど気にならない。
※パーティの主催者側は、
予定人数の半分が参加、
くらいに見積もっている
・先に約束したから、とは考えない
そのとき気の向くほうに行く
・だから早めに約束しても意味がない
直前にしたほうがいい(忘れちゃうから)
・金曜夜、ニューヨーカーは
一晩に3つパーティに参加すると言われている。
パーティの途中参加、途中抜けは当たり前。
特に仕事が終わってすぐの
早めの時間のパーティは
『プレパーティ』といって
つまんないことが多い。
遅れてくるし、消えていく。
ずっといる人はほぼいない。
・誘う時にイベント内容が相手に合ってるかとかは
あまり考えない。誘われた側の判断。
だから断られても気にならない。
・つまらなかったら抜けて全然OK
自分を楽しませるのは自己責任
日本・アメリカそれぞれの『らしさ』 が文化に現れる
これらのカルチャーをきいて
日本人とアメリカ人の
決定的な違いに気づきました。
気遣いで成り立っている日本人と
個人のジャッジに重きをおくアメリカ人。
あるパーティに
友達を誘うスタンスひとつとっても
日本人はまず誘う前に
そのパーティが相手に合っているかを考えるし
誘われた側も相手がよいと思って
誘ってくれていることを考慮に入れて
応じるかどうか考えます。
実際パーティに行った際は、
誘った側が誘われた側が楽しんでるか気遣う、
という感覚もありますし、
逆に誘われた側も相手をたてて、
ちゃんと楽しんでますよ、とアピール。
ですがアメリカは超・個人独立。
パーティの誘いは情報を共有するスタンス。
相手に合っているか、とかは基本考えない。
誘われた側が自分に合っているかジャッジするし、
参加したら自分を楽しませるのは自分。
誘われた側がつまらなそうでも
誘った側は気にしない。
ここにいることも、違う場所にいくことも
全ては相手のジャッジ。
相手のジャッジは尊重、
そこにとやかく言ったりはしません。
これらは文化を共有していて
相手のことを理解しやすい以心伝心の日本と、
とにかくいろんな人が集まっているから
察するなんて不可能!というアメリカ、
その違いからくるような気もします。
こうやって文章にしてみると
本当に一長一短。
アメリカ式は合理的だし、
自分のやりたいようにやれる!
という点ではいいのですが、
私がもしパーティ主催して
予定の半分しかこなかったら、
みんなが即帰ってったら、悲しいなぁ。
日本人は気を使うんだ!と説明したくて
『気遣い』という単語を検索するも、
ぴったりの単語ってないそうです。
(一番近いのはconsideration)
言葉がないってことは、
存在しないってこと。
ここはアメリカ、郷に入っては郷に従いつつ、
日本人の優しい気遣いマインド
を忘れたくない、と思った夜でした。