こんにちは、綾野です。
いまセントマの授業の課題を考えることに
脳みそをほぼ使っています。
色々手を動かす中で
今の個人的な課題である
スタイルの確立のヒント
が得られたので
文章で残しておきたいと思います。
私がスタイルにこだわる理由
ここ最近(というか去年末くらいから)
私のジュエリーのスタイル(世界観)はなんだろうと
考え続けているのですが
これはひとえに
ジュエリー戦国時代に差別化するためです。
もうね
ジュエリー作る人いすぎ😂
レッドオーシャンもいいとこ。
まともなビジネスパーソンなら
よっぽど革新的なアイディアでもない限り
ジュエリーには参入しないですよね。苦笑
とは思うんですがね・・・
やりたいんですよー。
惚れちゃったんですよ、ジュエリーに。
ジュエリーが溢れる中で埋もれず
選んでいただくためには、
そして一過性で終わらせないためには
明確なスタイルが必要だな
と考えています。
(他にも色々考えてるけどこの話はまた今度)
スタイルの構成要素:哲学と美意識
どうやったらスタイルを確立できるか、
常に頭の中でコロコロさせていた結果、
ものづくりにおけるスタイルとは
- 哲学
- 美意識
この2つによって構成されると気づきました。
まずここでいう哲学とは
「このジュエリーをつけることで
持ち主にどうなって欲しいか(目的)」
「そのためにどのようなコンセプトを設定するか(手段)」
という言葉で考える領域です。
例えば
「宝石の美しさを楽しんで欲しい」
という目的のもと
「とにかく石が際立つデザイン」
というコンセプトだったり
「仕事の日にもおしゃれする喜びを」
という考えのもと
「オフィスに合うコンサバなデザイン」
というコンセプトだったり
ジュエリーが果たす役割(Why)と
その役割を実現するためのコンセプト(How)
がジュエリーにおける哲学であり
スタイルの根っことなる部分です。
そして、美意識とは
具体的にどんな形、色にするかという
ビジュアルの領域です。
曲線によるオーガニックな形か、
直線を組み合わせた幾何学的な形か、
角度は、太さは、厚さは・・・といった
何を美しいと思うのか(What)、
最終的にアウトプットとなってくる部分です。
例えばココ・シャネルだと
哲学=エレガンスとは自立と自由である
動きやすい新素材の服で女性を解放する
美意識=シンプル、黒と白、八角形
アクセサリーを1つ外す
とまとめられるように
哲学と美意識、
相互作用するこの2つから
スタイルは成り立っていると思うのです。
①哲学と②美意識が自覚できていないとスタイルあるものづくりはできない
この①哲学と②美意識って
誰しも持っているものだと思うんです。
日々の色々な意思決定は気付かぬうちに
この2つによってなされているはず。
日常生活を送るにあたっては
これらを自覚する必要はありません。
ですが、ものを作る人間は
この2つを自覚していないとダメ。
無自覚のままではいざ作ろうとしても
思い通りのものが作れない。
私の場合①哲学は割と明確に自覚があるんです。
文系だけにね。苦笑
なのでコンセプトをつくるまではサクサクいける。
でも②美意識が全然自覚できてない!
だから仕上がったものを
好き、嫌いは判別できても
ゼロから自分が美しいと思うものを創ろうとすると
手が止まってしまうのです。
2つを自覚するには「書く」と「描く」
そこで先生に相談したところ
美しいと思うもののディテールを
もっと注意深く観察してみて
注意深く視るにはデッサンが有効
とアドバイスされました。
言われた通り素直に、
ムードボードの自分が美しいと思うイメージを
デッサンしてみたところ
自分がいかに
ものを見ていなかったか
ということに気づかされました。
手を動かすことで
見落としていた構造に気づき
自分が美しいと思うものが
どのように構成されているか
細かい部分まで見えてきました。
「描く」ことは観察すること。
美しいと思うものを観察し
構造を理解することで
自分の美意識を自覚できるとわかったと同時に
思えば「書く」という行為で
自分の考えが整理でき理解が深まるのと
同じだなと思いました。
昔から書くことが好きで
日記、mixi、facebook、ブログと
媒体を変えては書き続けてきたので
言葉の領域である
自分の哲学に関しては重々理解しているのです。
私に足りないのは美意識の自覚。
今まで「書いてきた」ように
今度は「描く」ことで
己の美意識を自覚すればいいのだと
1つ解決に向けて道筋が見えました。
まとめ
文章を「書く」と言う行為で自分の哲学を
絵を「描く」と言う行為で自分の美意識を
双方を自覚することで
ものづくりにおける
明確なスタイルを築くことができる。
大きな発見があった一週間でした。