こんにちは、綾野です。
私とパートナー兼師匠は
共通点がジュエリーくらいしかなく
育った文化や年齢、性別といった
属性が総じて異なるため
自分が当然と思っていることが
当然ではないんだと気づかされるハプニングが
結構な頻度で起こりそれがとても面白いのです。
この1年で数々のエピソードができましたが
これらを振り返ってみると
『自分軸で生きてるか、他人軸で生きてるか』
に要約できるなと気づきました。
その考え方一理あるなぁ!と
目からウロコがボロボロ落ちた
エピソードをご紹介しつつ
他人軸で生きがちな人に
もっと自分軸で生きていいんや!
ということを伝えられればと思っております。
衝撃だったケーキ事件 どちらの理屈も筋が通っている
“ケーキ事件”と名付けた象徴的な出来事をご紹介します。
先日6個入りのミニケーキを頂戴しました。
家には私+パートナー+兄弟子の3人がおり
まずはランチのデザートとして
1人1個ずつ合計3個をいただきました。
私は何の疑いもなく
6個÷3人=1人につき2個
つまり残った3個のうち1個は
私のものだろう、あとで食べようと考え
それについて特に言及することなく
余った3個を冷蔵庫に入れました。
しかしその日の夕方、
気づくとケーキはなくなっていました。
兄弟子が1個、そして私のパートナーが2個、
食べてしまっていたのです。
これについて私は激怒しました。
3人の人間がいてケーキが3個あったら
1人1個平等に分けるのが当たり前だろう。
私の分まで勝手に食べてしまうなんて
リスペクトがないのではないか!
(食べ物への執念がすごくてすみません)
私は至極まっとうな主張だと思っていましたが
パートナーはこれに関して
キレ返してきたのです。
人間には食べたい時に食べたいものを
食べたいだけ食べる自由がある!
特に何の主張もしなかったのに
後からこれは自分のものだなんて
自分勝手が過ぎる!!
言われた瞬間は
こんの狩猟民族が〜〜💢
農耕民族が培った
和をもって尊しとなす
聖徳太子スピリッツ
なめんじゃねぇぞ〜〜〜💢💢💢
とムカついてしまいましたが
よくよく考えてみると
確かにそれはそれで理屈通ってるなぁ
と思ったのです。
ケーキの総数や人間の数など
状況をもとに考える私と
自分の感覚から行動するパートナー。
どちらも間違っていないなぁと。
このケーキ事件以外にも例えば
作った食事がほんのすこし余ったとき
私はお腹いっぱいでも
もったいないと思って食べてしまいますが
パートナーは自分の満腹度合いを加味して
無理に食べることはしません。
私の方が環境に優しい!と思う一方で
自分の体を大切にしているパートナーも
正しいよな、と思うのです。
自分軸で生きることと周りを大切にすることは両立できる
そういえばニューヨーク滞在時に
初めて遭遇したカルチャーショックも
その日の自分のフィーリングを大切にする
自分軸タイプと
約束した事実や相手にどう思われるかを優先する
他人軸タイプの違いから起こる
葛藤だったように思います。
振り返ってみると自分って
やりたいことをやっているようで
実は結構他人軸が染み付いているんだな!?
としみじみ感じます。
ここでひとつ強調しておきたいのは
自分軸で生きる
≠(ノットイコール)
自己中心的
ということです。
先ほどのケーキやニューヨークでの約束は
極端な例になってしまったのですが
通常の彼らを観察していると
①まず自分がどうしたいかを認識する
②その上で状況や周囲の反応を考慮する
というステップを踏んでいます。
この順番で意思決定することで
自分のことも周りのことも大切にできるのです。
慣れてさえしまえば
自分はどうしたいかはっきり言ってくれて
忖度が不要なので逆に楽です。
自分が意思表示する分だけ
他の誰かが『こうしたい』と
意思を表明することに寛容なのも
素敵だなぁと思います。
かくいう私は②→①の順で思考していて
状況によっては①に気づくのに
ずっと時間がかかったりします。
そのクセ相手が忖度してくれないと怒っちゃう。
何と面倒なやつ…!
『人に迷惑をかけちゃダメ!』
『みんなと仲良くしなきゃダメ!』
『いい子でいなさい!』
周囲を慮れることは
人生を円滑にするけれど
その中で犠牲になっている
自分の想いがあるのかもしれません。
長年のクセを変えることは
なかなか難しいと思いますが
私ももっと自分軸で生きたいなぁと思う今日この頃です。